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オジー・オズボーンとギタリストたちの絆 悲しみと共鳴のロック史

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オジー・オズボーンとギタリストたちの絆 悲しみと共鳴のロック史

オジー・オズボーンとギタリストたちの絆 悲しみと共鳴のロック史

2025/07/31

ブラック・サバスのボーカリストとしてロック界に衝撃を与え、ソロとしても不動の地位を築いたオジー・オズボーン。彼の音楽人生は、華やかな成功と同じだけ深い悲しみや別れに満ちている。中でも彼のキャリアを彩った3人の天才ギタリスト、ランディ・ローズ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドとの関係は、音楽以上の絆として語り継がれている。追悼の意も含め、オジー・オズボーンの歴史を振り返りつつ、彼の傍らにいたギタリストたちと、その中にある「喪失」と「継承」のドラマに迫る。

 

 

ブラック・サバスからの追放、そしてソロへの旅立ち

オジー・オズボーンは、1970年にブラック・サバスのボーカルとしてデビュー。ドラッグとアルコールにまみれた日々の中で、ヘヴィメタルの礎を築いた。しかし1979年、度重なるトラブルによりバンドを解雇される。

これが彼にとって最大の転機となった。

精神的にも肉体的にも限界に達していたオジーを救ったのが、当時マネージャーだったシャロン・アーデン(後の妻)だった。彼女の後押しでソロ活動を開始し、1980年に記念すべきソロデビューアルバム『Blizzard of Ozz』をリリースする。

このアルバムでギターを務めたのが、若き天才ギタリスト、ランディ・ローズだった。

ランディ・ローズとの運命的な出会いと悲劇

クラシックとロックを融合させた革新的なプレイスタイル、そして美しい旋律。ランディ・ローズは、当時まだ無名に近かったが、オジーとの出会いで一躍シーンの注目を集める存在となる。『Blizzard of Ozz』と続く『Diary of a Madman』の2枚は、80年代メタルの金字塔であり、今も語り継がれる名盤。

しかし、その輝きは突然奪われる。1982年3月、ツアー中のフロリダで、ランディは軽飛行機の事故に巻き込まれ、わずか25歳の若さでこの世を去る。

オジーはランディの死に深いショックを受け、精神的にもどん底に陥った。彼は後にこう語っている。「ランディの死で、自分の一部が死んだ気がした」。この出来事は、彼の音楽人生における最も深い悲しみとして永遠に刻まれてしまった。

そして、ランディが愛用していた水玉模様のギター――ポルカドット・フライングVは、彼の象徴的存在として今もファンの記憶に残っている。

ジェイク・E・リー:喪失を乗り越えた次の相棒

ランディの後任として選ばれたのが、日系アメリカ人ギタリスト、ジェイク・E・リーだった。当初は不安と批判の声もあったが、彼のテクニカルかつメロディックなプレイはファンの心を掴み、次第に「ランディの後継者」としての地位を確立していく。

1983年の『Bark at the Moon』は、ジェイクの才能が爆発した作品であり、オジーのソロキャリアをさらに押し上げる役割を果たした。ランディの不在を埋めることは誰にもできない。しかし、ジェイクはジェイクとして、自らの個性でバンドに新たな風を吹き込んだ。

私は世代的にはリアルタイムがこの時代でLAメタル全盛期の中でステージ上の佇まいのあまりのカッコ良さに驚かされた。

とはいえ、その関係は長続きせず、オジーのアルコールの問題、また契約や報酬を巡るトラブルなどもあり、ジェイクはオジーの元を離れることになる。

ザック・ワイルド:運命に導かれた若き野獣

1987年、次にオジーの相棒となったのが、当時まだ無名だった若きギタリスト、ザック・ワイルド。タフな風貌とワイルドなプレイ、そしてどこかピュアな心を持った彼は、瞬く間にファンの心を掴んだ。1988年の『No Rest for the Wicked』でデビューし、『No More Tears』(1991年)ではその才能を完全開花させた。

ザックの存在は、オジーにとって息子のようでもあり、仲間でもあった。オジーが健康問題や引退を繰り返す中でも、ザックはたびたびその隣に戻ってきた。2人の関係は単なる「バンドメンバー」以上のものであり、家族のような絆があった。

多くの仲間たちとの別れと「死」と向き合う人生

オジー・オズボーンの音楽人生には、ランディ・ローズだけでなく、多くの仲間の死が影を落としている。ブラック・サバス時代のドラマー、ビル・ワードの健康問題や、バンドメンバーたちとの再会と決別。さらには、長年のベーシストだったボブ・デイズリーとの確執、近年ではブラック・サバス再結成ツアー後の再度の別れなど、彼の周囲では常に「別れ」と「再会」が繰り返されてきた。

オジー自身もパーキンソン病の診断を受け、引退を発表したこともあった。しかし、彼は再び立ち上がり、音楽を続ける道を選んでいる。生き残る者として、失われた仲間たちの魂を背負って歌い続けているのだ。

ロックという運命を背負った「最後の狂気」

オジー・オズボーンは、その破天荒なイメージばかりが先行しがちだが、彼の内面には深い悲しみと愛情がある。音楽という表現を通して、彼は「喪失」と「苦悩」と向き合い続けてきた。ランディ・ローズの水玉ギターは、単なるデザインではなく、失われた天才へのオマージュであり、ロックに命を捧げた者たちの象徴だ。

是非、ブラックベースで大き目の水玉のネクタイを探してみたい。

彼のそばにいたジェイク・E・リーも、ザック・ワイルドも、それぞれがオジーの中の「空白」を埋めようとしたアーティストだった。そのすべての過程が、今のオジー・オズボーンという存在を形づくっている。

終わらない物語としてのロック

2020年代に入っても、オジー・オズボーンは新譜をリリースし続けている。病気と老いに向き合いながらも、彼はなおもロックの火を絶やさずにいる。彼の歩みは、悲しみを超えて、仲間たちへの鎮魂歌でもある。

「俺はもう何度も終わったと思った。でもロックは、終わらないんだよ」

そう語るオジーの姿に、多くのファンは涙する。天才たちと共に歩み、数々の別れを経験し、それでも立ち続ける男――それがオジー・オズボーンである。

ロック界において、これほどまでに愛され、これほどまでに喪失を背負ったアーティストは稀だろう。ランディ・ローズの死から始まった喪失の連鎖の中で、それでも音楽を止めなかったオジー。彼の人生そのものが、ロックというジャンルの縮図であり、叫びであり、祈りでもある。

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