映画『スクール・オブ・ロック』とネクタイが語る反骨と規律のスタイル
2025/05/06
映画の前半では、生徒たちは皆きちんとした制服を着ており、ネクタイやリボンタイをきっちり締めています。まさに“良い子”の象徴。
しかしロックバンドとしての活動が始まると、制服はそのままにネクタイをゆるめたり、シャツの裾を出したり、リボンタイの形をアレンジしたりと、スタイルの中に自由なアレンジを加え始めます。
この“制服を壊さずに個性を加える”という演出は非常に印象的で、特にリボンタイを巻いた女子生徒たちのスタイルは、クラシカルでありながらも躍動感とかわいらしさを兼ね備えています。
ネクタイやリボンタイが、単なる服飾ではなく「自己表現のツール」として描かれている点に、『スクール・オブ・ロック』の深みが感じられます。
ジョーン・キューザック演じる校長先生(ミュリンズ)もまた、制服にネクタイを合わせた端正なスタイルで登場します。
彼女の姿勢は当初、厳格かつ冷静。ネクタイはその規律の象徴として機能しています。しかし物語が進むにつれ、彼女の中に隠れていたロック魂や、音楽への情熱が表面化していきます。
彼女がカラオケバーでスティーヴィー・ニックスの「Edge of Seventeen」を歌うシーンでは、ネクタイのイメージはもはや“締めつけ”ではなく、知的さと女性らしさの融合したアクセントとして見えるようになります。
この対比もまた、映画全体が「型の中に自由を見出す」ことの大切さを語っていることの表れです。
『スクール・オブ・ロック』は“教育”という厳格な制度の中で、いかに“個性”を見出すかという問いを投げかけています。
ネクタイはその象徴。首元を締めつけるものではなく、自己表現の一部であり、他者とのつながりを生むアイテムとして描かれています。
制服は変わらなくても、着こなしによって印象は変わる。ルールを守りつつ、そこに自分なりのスタイルを宿すこと──これは現代のビジネスや教育、さらにはファッションの本質にも通じる考え方でしょう。
『スクール・オブ・ロック』が今なお愛される理由は、ただの音楽映画ではないから。
それは、服装、言葉、行動、すべてを通じて**「自分らしさとは何か」**を描いているからです。
アンガス・ヤングの影響から始まり、生徒たちや校長先生にまで波及した“ネクタイ”の変化。そこにはロックという音楽以上に、生き方としてのロック魂が息づいています。
ネクタイはただ締めるものではない。時に外すこと、崩すこと、遊ぶこと──そのすべてが「自分を表現する」手段になる。
『スクール・オブ・ロック』を観終わったあと、きっとあなたはネクタイの結び方すら、少し変えたくなるかもしれません。
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